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古賀政男氏がひいきにした幡ヶ谷の団子とは?愛弟子の小林幸子さんとの思い出も

おでかけ・イベント

古賀政男氏が愛したお団子はご存知でしょうか。

古賀政男氏は小林幸子さんをスカウトした著名な、昭和期を代表する作曲家でもあります。

東京渋谷区幡ヶ谷にあるそのお団子やさんは”ふるや古賀音庵”。

昭和の古き良き著名人が愛したお団子。

実は筆者は昔、このお店の近所に住んでいてよくお世話になっていました。

そこで今回は、

古賀政男氏がひいきにした幡ヶ谷の団子についてと、愛弟子の小林幸子さんによる古賀氏の思い出についてもご紹介します。

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古賀政男氏がひいきにした”ふるや古賀音庵”の団子

ふるや古賀音庵のお団子を早速見てみましょう。

名物のごまが香ばしい【古賀音和三盆】

ふるや古賀音庵といえば、これこれ、これですよ。

1箱(5本入) 972円(税込)

香料・着色料・保存料は一切使用していないため、日持ちは当日中でここでしか買えません。

すりゴマに埋まっているもっちりとしたお団子が何とも言えない香ばしさ!

うわっ~~~、いますぐ食べたい!

古賀政男氏がひいきにした”ふるや古賀音庵”には団子以外もある

ふるや古賀音庵にはお団子以外の人気商品もあります。

早速ご紹介していきますね。

餅のどら焼き

お店の方に勧められるのが「餅のどら焼き」です。

1個 972円(税込)写真はプレーン味

生地に餅粉が混ぜてあるためもっちりとして、緑茶に合うんですよ!

個別包装になっていますので、ひとつから購入ができます。

また日持ちも9日と長めのためお土産に適していますよ。

季節限定のお味も出ますので、飽きずに楽しめますね。

季節の和菓子

桜道明寺 1個 248円(税込)

春になると「桜道明寺」が出てくるのですが、私は実はこれが一番好きです。

古賀政男氏が屋号の「古賀音」を命名

ふるや古賀音庵は、当時ひいきにしていた古賀政男氏により命名してもらい、昭和58年に店名を「ふるや古賀音庵」に変更しています。

ふるや古賀音庵は1936年創業の老舗ですが、創業以来、富留屋という屋号で営業していました。

ところが約50年後の1983年(昭和58年)にこれまでの屋号から「ふるや古賀音庵」に改名するなんて、古賀氏の当時の偉大さと同時に、ひいき振りが垣間見えるエピソードですよね。

この後の古賀政男氏のプロフィールをご覧いただければ分かりますが、屋号の変更は古賀氏の没後数年経ってからになりますので故人をしのんでされたのかなと、勝手ながら推測しました。

出典:ふるや古賀音庵

古賀政男氏がひいきにした”ふるや古賀音庵”のアクセス

都営新宿線幡ヶ谷駅から徒歩5分くらいに位置するお店です。

駅前商店街沿いを真っ直ぐ歩くと、水道道路にぶつかる交差点があります(ミニストップがある交差点)。

そこを渡って、ちょっと行くと左手にあるので直ぐに分かります。

「ふるや古賀音庵」のお店情報

・住所:東京都渋谷区幡ヶ谷3-2-4
・電話番号:0120-008-360
・営業時間:平日/10:00~18:00、土日祝/09:00~18:00
・定休日:1月1日以外無休
・お店の地図

出典:ふるや古賀音庵

古賀政男氏は昭和を代表する作曲家

昭和期を代表する作曲家の古賀政男氏についてご存じない方もいらっしゃるかと思いますので、その活躍ぶりを簡単にご紹介します。

古賀政男氏のプロフィール

1904年(昭和37年)11月ー 1978年(昭和53年)7月(73歳で死去)

少年時代に弦楽器に目覚め、青年期はマンドリン・ギターのクラシック音楽を研鑽しつつ、大正琴を愛した。その後は、プレクトラム音楽家の「古賀正男」から流行歌王の「古賀政男」になり、昭和期を代表する国民的作曲家としての地位を確立し、数多くの流行歌をヒットさせた。生涯で制作した楽曲は5,000曲ともいわれ、「古賀メロディー」として親しまれている。また、小林幸子をスカウトしたことでも知られる。

『緑の地平線』『二人は若い』『東京ラプソディ』『あゝそれなのに』『青い背広で』『人生の並木路』などのヒット曲を発表した。

1938年(昭和13年)秋、外務省の音楽文化親善使節として渡米し、ハワイアルゼンチンを訪問。

出典:ウィキペディア

正直わたしの世代ではピンとこないのですが、功績を拝見している限り当時のご活躍は計り知れないものだったことが分かります。

いまで言う、秋元康さんのような存在でしょうか。

古賀氏は秋元さん同様、未来の大スターの発掘も手掛けていて、小林幸子さんを子供の頃にスカウトした話も有名です。

古賀政男氏の愛弟子には小林幸子さんも

9歳のときにのど自慢番組で古賀氏にスカウトされた小林幸子さん。

二つ返事で古賀氏からのオファーを受けて、母の反対を押し切って上京されたそうです。

上京後は古賀氏の事務所にお世話になっていたそうで、ご本人からは「チビ」と呼ばれて大変可愛がってもらったと当時を振り返ります。

古賀氏の凄さを目の当たりにしたのが、デビューする際の着物やドレスを日本橋の行きつけのデパートに買いに行った際のことだそうです。

支配人をはじめとする従業員がずらっと並んで迎えていたそうなんですね。

いま考えると、庶民ではないことは間違いないですね。

デビュー曲は売れたものの、その後鳴かず飛ばずの時期が続いた小林幸子さん。

当時の古賀氏との忘れられないやり取りを、小林さんが語っています。

人は悲しくなると、涙があふれて、それからどうなるか尋ねられて答えられない小林さんに「そこにしゃがむんだよ。そしてしゃがんだ後、人は立ち上がるんだよ」と、答えたそうです。

その時は意味がわかりませんでしたが、後になってこの言葉が本当に身に沁みました。デビュー曲がヒットした後も下積み時代が長く続き、何回もしゃがみましたから。

倒れてしまうと起き上がるのに時間がかかるから「しゃがむ」。倒れる前にしゃがんで、立ち上がるまで力を溜める。

出典:Newsポストセブン

まとめ

ここまで古賀政男氏がひいきにしたお団子についてと、愛弟子の小林幸子による古賀氏の思い出についてご紹介してきました。

幡ヶ谷は新宿や代々木上原からも徒歩圏の下町情緒あふれるの商店街がある町です。

このほかにも、素敵なお店がたくさんありますので、ご紹介していきますね。

最後までお読みいただきありがとうございます。

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